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余はいかにして(RDA調査紀行)

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Magna Carta 2015 @ BL。

あますぎるチャイを飲みながら金曜日に見た、BLのマグナカルタ展を思い出す。
それにしてもラッキーだった。
いの一番にBLに行った際、マグナカルタ展をやっているのを知り、でも「学生料金」があるのを知ったので、学生証ができるまで保留しよう、と、無料の展示を見た初日。
それからあれやこれやあり、BLに行けず、展示期間も9月一日までと迫り、「最終日に行くしかないな」と覚悟を決めていたら、
授業で行くことになった(タダ券ってか学費に含まれているチケットで!)

課外学習なのでノートを取りながら読み進める。
マグナカルタというと1215年の年号とセットで覚えることが多いだろうが、1225年に改訂されている。
現在ではそのうち3節が現在の英国法(と、いうのだろうか?English law)でも有効であり、この1225年版はジョン王の死後制定されている。

この展示ではこの1225年版や、インノケンティウス3世のマグナカルタを無効とする布告の展示もあった。

展示では、ジョン王の圧政(というか失策)からマグナカルタ制定まで軌跡と(ジョン王関連の品も多く、彼の”歯”や墓のレリーフのレプリカ、毒殺説、シェークスピア劇中のジョン王の有名俳優などジョン王尽くし)、その1225年版が15Cあたりにも法律家を中心に使用され、17C頃にはラテン語/フランス語併記のヴァージョンが出始め、それが英語に翻訳されていく流れ(と、いうのも面白い。英国で生まれた法だけど、言語上は別だったのね)、北アメリカにたどりつき1791年のBill of Rightsにつながり、
そしてネルソン・マンデラの裁判での演説にひかれる一節”The ideal of a free and democratic socciety in which all person will live togher in harmony and with equal opportunity is an ideal for which I hope to live for and to achieve. ”。1948年の国連人権憲章につながる。

といった13世紀から現在まで人権の意識がつながり、継承されているということを伝える展示だった。

1215年のマグナカルタは現在知られている限り4点しかコピーがなく、そのうち2点がBLにあるらしい(と、先生が言っていた)
そのうち1点をこの展示では見ることができたが、
字が薄れていて見えん!
1731年に火事にあったためとも言われている。

2014年、BLではそれをmulti-spectrial imagingという(Using different bandset light) 手法?で、本体にか化学的変化を加えることなしに読み取りに成功した。(本文はIohannes=Jphnからスタートする)

歴史的価値のある資料を劣化させず、活用させるために現在の技術が追い付いた成果だと思う、すばらしい。

今回の展示は、図書館員として一つのテーマを展示するときにどのようなふくらみを持って展示をするか、(主張がはっきりするか、それとも考えさせるつくりにするか。今回の展示は主張がはっきりした展示なので、わかりやすかった。一方で、マンデラがマグナカルタを引くとき、その思想がただ素晴らしいから引いたのか、あるいは西洋列強の思想の土壌からものを話すことが必要なシチュエーションだったのか、考えによってはいろいろと考える点がある)
音声ガイドを無料で提供しているのだが、そこではキュレーターがそれぞれの作品に意見を述べていて、この展示自体が研究者による深みを持って行われたことが分かったり、

学生として現在学んでいる人権・公正の法制度の誕生、現在につながる流れを知ることができて、知識が深まった。

そして、「マグナカルタ」を「課外活動」で見ることができる立地の良さも、SOASならではである。
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